「チキンラーメン」や「カップヌードル」など日本人なら誰しもが食べ慣れしんできた麺類。
それらを開発した安藤百福氏の発明について説明します。
安藤氏の略歴
出典:http://www.atpress.ne.jp/
1910-2007年、日清食品創業者。
呉服屋を営む富豪の家(台湾)に生まれました。
1932年(22歳)に、父の遺産をもとに、繊維会社「東洋メリヤス」を設立し、成功しました。
この成功を機に、炭焼き事業、バラック住宅、製塩、漁業、学校の設立などさまざまな事業を展開していきました。
1957年、安藤氏が理事長を務めていた信用組合が破綻し、無限責任のため、安藤氏は破産しました。
その後、大阪府池田市の借家の裏に小屋を造り、インスタントラーメン研究に年中無休で没頭し、
1年後の1958年(48歳)に「チキンラーメン」の商品化に成功、大ヒット。
研究に没頭した小屋↓
出典:https://www.nissin.com/jp/
同年、休眠会社サンシー殖産を「日清食品株式会社」に商号変更。
「チキンラーメン」の世界進出の際に外国人がカップにチキンラーメンを入れて食べる姿をきっかけに、
カップヌードルの開発を開始し、1971年に商品化成功。
浅間山荘事件にて、カップヌードルを食べる警視庁機動隊員の姿がテレビ放送され、大ヒット。
2001年(91歳のとき)に、宇宙食ラーメン「スペース・ラム」のプロジェクトを始動。
2005年に「スペース・ラム」は、スペースシャトル・ディスカバリー号に搭載されて、
野口聡一宇宙飛行士によって宇宙ステーションで食べられる(人類最初の宇宙空間でのインスタントラーメン試食)。
チキンラーメンの特許
チキンラーメンは、安藤氏の奥さんがてんぷらを揚げるところを見て思いつきました。
小麦粉の衣を油で揚げると、衣から水分が勢いよく飛んでいくところをヒントにしました。
そんなチキンラーメンの特許は、以下の2つです。
1.「即席ラーメンの製造法」特許299524号
昭和34年1月出願、昭和37年6月登録
2. 「味付乾麺の製法」(特許299525号)
昭和33年12月出願、昭和37年6月登録
1つ目の発明の内容(特許請求の範囲)を書き下すと、以下の通りです。
「小麦粉を主材とし、カン水、塩水、油、生姜汁液、鶏卵を加えた原料を混練して、
製麺機により細薄麺を形成して、
蒸熱冷風を当てながら油液の噴霧の下に解きほぐして、
別に鶏骨スープ等の動植物スープに動植物質調味料と化学調味料を添加して濃縮調整した調味液を加温したものを麺に再び冷風しながら噴霧して浸透させて、
予備乾燥して、
麺を動植物性の高温油液中にて瞬間揚処理をするとともに油切り乾燥する、
即席ラーメンの製造法。」
これを見ると、 チキンラーメンは、手間がかかるものだとわかります。
安藤氏は、「野中の1本杉になってそびえるより、豊かな森にした方が実りが多い。大衆に安く商品を提供するためにも小異を捨てて大同につく」との考えから、1964年に、「日本ラーメン工業協会」を設立して、これらの製法特許権を譲りました。
これにより、他の会社も製造することができ、インスタントラーメン業界は、大きく発展していくことになりました。
安藤氏の名言
安藤氏は、特許や発明の観点から、いろいろな名言を残しています。いくつかを抜粋して紹介します。
「発明はひらめきから。ひらめきは執念から。執念なきものに発明はない。ひとつこころみては捨てていく。考えて、考えて、考え抜け。」
「発明や発見には立派な設備や資金はいらない。新しいものを創造する力がなければ企業は存続できなん。自分の周囲にいつも好奇の目を向けろ。消費者のニーズや時代を読むヒントは日常生活のいたるところに転がっている。明日になれば今日の非常識は常識になっている。子供のようにいつも「なぜ?」と疑問を発しなさい。」
「知的財産で事業を固めていても、新しい市場には必ず新規参入者が出てくる。異議申し立ての多いほど、その特許には実力がある。異議を退けて成立した特許はもっと強力である。発明したと思っていても世界では同じことを考えている人が3人いる。」
「新しい事業を切り開くためには技術革新が必要だ。新しい技術は商標や特許などの知的所有権によって守られなければならない。工業化できない特許には一文の価値もない。創業者利益を手中にする有効な方法は、スタートから大きく引き離すことだ。」
トップ画像の出典:http://markezine.jp/