私たちが日常で使う電池といえば、乾電池です。
持ち運びやすく、使いやすいものです。
しかし、昔の電池は、ガラスや陶器の入れ物に、液体がたっぷり入った大きなもの(湿電池)で、不便なものでした。
そんな電池を使いやすくするために、乾いた電池「乾電池」を発明し、乾電池王とまで呼ばれた日本人がいました。
屋井先蔵(やい さきぞう)氏です。
屋井氏の略歴
出典http://www2.iee.or.jp/
1864-1927年
新潟県長岡市の武士の家に誕生しました。
父が幼少のころに他界したため、13歳から、時計店に丁稚奉公しました。
この丁稚がきっかけで、時計や機械の知識を習得しました。
21歳のとき、東京職工学校(現在の東京工業大学)に受験したが、失敗。
翌年も、再度受験したが、5分の遅刻のため、受験できずに失敗。
当時の時計は不正確であったため、「もし正確な時計があれば受験に間に合っていたかもしれない」と考え、正確な時計を作ろうと発起。
1885年頃に、すべてを電気で動かす正確な連続電気時計の開発に成功しました。
しかし、ヒットせず。
この電気時計には、電力源として、液漏れしやすく、冬場は凍結してしまうルクランシュ電池(湿電池)を使用。
出典http://www.geocities.jp
ヒットしない理由は、この不便な電池のせいだと考え、便利な電池の開発に着手。
1887年頃に、世界で初めて乾電池の開発に成功。
1893年にシカゴ開催の万国博覧会に、屋井乾電池を出展。
東京都台東区に、「屋井乾電池合資会社」を設立、屋井乾電池の製造販売開始。
しかし、電池で動かす商品が少ないため、ヒットせず。
1894年に、日清戦争が開始され、陸軍省から屋井乾電池500個を受注。
屋井乾電池は、冬場も凍結せずに使用可能であったため、満州での戦いを有利に進め、勝利。
「屋井乾電池のおかげで、日清戦争に勝った」とのニュースが流れ、大ヒットに。
その後、改良を重ね、密閉式乾電池を発明。
1927年、病気により死去
屋井氏の特許
電気時計
特許1205号、1988年特許出願、1891年特許取得
↑右下の箱「た」が、電池です。
乾電池
特許2086号 1892年特許出願、1893年特許出願。
炭素棒にパラフィンを含浸させることが大きな特徴です。
ちなみ、「乾」電池も、液体を使用しています。
液体がこぼれず、従来の電池よりかは乾いている状態に近いため、乾電池と名付けられています。
電池の「最初」
1800年に、イタリア人のボルタが最初に電池(ボルタ電池)を発明しました。
日本人として初めて電池を作った人は、佐久間 象山(1811年~1864年)。
1868年に、フランス人のルクランシェが、現在の普及している電池の基本タイプであるルクランシェ電池を発明しました。屋井乾電池のモデルになった電池です。